「居場所はここにある」 07.01.28
ルカ 15:11〜24
「十戒」を「自由の道しるべ」と呼ぶ方がいます。
本当にそうだと思います。人が真に自由に生きるためには、
神と人に正しく向き合うことが必要です。
神と人に対する愛を欠いた生き方によっては、真の自由を
感じ、喜んで、健やかに安心して生きることはできません。
神さまは、人が真に自由に生きられるように十戒の言葉を
与えてくださいました。十戒の言葉は、単なる規制でも、条件でも、
脅しの言葉でもありません。
十戒を与えてくださった時に、まず「わたしは主、あなたの神、
あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」
(出エジ20:2)とおっしゃいました。威圧する言葉ではありません。
「わたしがあなたの神であり、救い、導く」との宣言でもあります。
その時、民はエジプトから離れ、先行きへの不安を抱えていました。
そんな民が、「わたしはあなたの主であり、神だ」との宣言を、
はっきり聞きました。どんなに安心したでしょうか。そしてこの十戒の
言葉を、神の民である喜びと信頼を持って耳にしたでしょう。
「わたしのほかに神があってはならない」と言われます。
イスラエルは、多くの神のいる世界にいました。神さまは、人が
そのような世界で生きていくことの困難さを見抜いています。現代、
真の神ならぬ神々は、実に多様な形をとり、私たちを迷わせます。
迷ってしまう弱さを抱える人間に、まず十戒の第一の言葉として
「あなたの主、神としてわたしがいる。だから、他の神は必要ないよ。
迷わなくてもいい。わたしの前にいなさい」と神さまが語りかけて
くださいます。
神さまを見失い、自由を失っている者にも、この言葉は向けられます。
ここに戻れとの呼びかけとして、この言葉は響きます。
主イエスが放蕩息子のたとえで語られた父の姿は、私たちの神で
あり続けて下さる主なる神さまの姿です。
神さまは、見失い、さ迷う者に対しても、神であることを
お止めになりません。
そのためにも、主イエスは十字架にかかってくださいました。
神さまの前に、私たちの揺るがぬ居場所があります。